老け顔のメリット

MAX35歳と言われたことのある老け顔

 吾輩はノーワンである。年齢はまだ22歳。

 最近顔出し配信をTwitterでは告知していないが、あるサイトで行っている。そこでよく「何歳ですか?」と聞かれたり、「30歳ですか?」と初手で聞いてくるバカタレがいる。見出しに書いた通り35歳?とも言われたこともある。

 

中学生のころのあだ名「おっさん」

 小っちゃな頃から老け顔で15でおっさんと呼ばれたよ。

 正直あるあるだと思うのだが。学生時代周りに年齢に比べて顔が老けている友達がいる場合、高確率でおっさん系のあだ名をつけられる。

 部活の後輩も自分に慣れてくると○○さんではなく、おっさんと呼ぶやつも自然に出てくる。おそらく「さん」がついているため上下関係を気にした「さん付け」などを考える必要がなく、呼びやすいのだろう。中には「おっさんさん」と呼ぶ礼儀正しいのか正しくないのかよくわからないやつもいたが。

 

声も割と低め

 「はいもしもし あ ご主人様でいらっしゃいますが? 先日の○○の件なのですが」こういった電話での会話も日常茶飯事だった。

 声が僕の父親よりも低いとは当時思っていなかったが、姉や母に僕のほうが声が低いと言われたときはなかなかに衝撃的だった。父親をテノールとするならば僕は言うなればバスだ。相当低い。

 基本的にVCなどで初めて喋る相手には少しだけ気を使わせてしまうのではないかと思ってしまう。なぜなら「声の印象的に自分の通話相手はかなり年齢上なんじゃないか」と思わせてしまいコミュニケーションしづらさを無意識に与えてしまっている可能性があるかもしれないからだ。

 

老け顔のメリット

 老け顔は年を取った時に若く見えるという迷信のようなものがある。それに関して僕なりの考えがある。それは昔の記憶での顔と今の顔との差異がそういったことを引き起こしているのではないかということだ。

 僕の中学生のころの友達が30年後に僕と会った時には「昔とあまり変わらないな」という印象を持つかもしれない。「おっさん」としての僕を知っているからだ。

 だが僕が60歳だとしよう。そのころに友人になった人物と数年ぶりに出会ったとしても僕が若く見えるということはないだろう。初見で僕を見た人もそうは思わないだろう。

 

 結局「若く見える」」ということは(何かと比べて)若く見えるという枕詞付きの言葉である。昔の僕を知っている人間ならば若く見えて、そうでない人間はそうと思わないだろう。実際に僕が年を取った時に周りに比べて若く見えるのであればこのブログの記事は削除するだろうが。

 

 

第五人格実況のBGM問題

最近界隈を賑わしているBGM問題

 レオの思い出にマッチングしただけで著作権に引っ掛かり、動画の広告収入を得られない⁉ なんてことが第五人格界隈の特に実況者界隈で嘆かれている。

 

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  曰くレオの思い出のマップで流れているBGMの序盤の数秒が引っ掛かっているようで、一部の実況者は問い合わせをしている最中だ。

 

ありがちなBGM被り問題

 僕が一時期第五人格実況をしていた頃かなり悩んだのがBGMだった。そもそも商用利用可のフリーBGMを使わなければならず、尚且つ他の実況者と違う色を出さなければ生存競争に勝てないためBGMが被っていいことはないだろう。

 そこで1番BGM選択の際障害になった実況者はかの有名なりょた、さんだ。(、さん付けないとガキなので)

 

りょた、

 彼が有名になったキッカケの動画は調香師のチェイス動画だ。チェイス内容もそうだがBGMチョイスがよかったためバズったのだろう。だが彼は様々な有名BGMを乱用したため、BGMを探そうとすると大体りょた、の足跡が付いていることが多かった。

 

BGMがその人の代名詞になると生じる問題

 「あ、このBGMあの実況者が使ってたやつだ!」「誰々さんから来ました」といったクソコメントがBGM元のYouTube動画に寄せられることが多い。まぁこういったことをする年齢層と第五人格プレイ層がもろ被りしているので仕方ないのだが。こんなことが元動画に寄せられる時点で同じ界隈の実況者が同じBGMを使うと双方にいいことがないことがたやすく予想できるだろう。確かはもさん(?)がBGM元に凸した視聴者が多く迷惑をかけられていた気がする。

 

 結局何が言いたいかって、BGMは乱用するなってこと!

【夏限定】ダメ男の体毛が濃いことの利点【閲覧注意】

 夏になると増えるのが蚊やハエなどの小さい虫たちだ。僕は洗い物を最低5日最高だと10日程放置する。それに加えてゴミ袋をぱんぱんになるまで貯めてから捨てに行くので、夏は僕の天敵だ。

 

 貯めすぎたゴミ袋の中は彼らにとってユートピアなのだろう。すさまじい量のハエが繁殖していたこともザラだ。ゴミ箱の蓋に蛹が30匹ほどいたこともある。そして育ったハエたちは出口を求めてゴミ箱を押さえつけている蓋の隙間から出てくる。部屋やシンクで彼らは飛び回る。

 


 

 蚊やハエたちはかなりの機動力を持っており、視界に入り次第デストロイの姿勢で彼らに挑んでも殺しきれない。百式観音を扱う僕ですら仕留めきれないほどだ。

 

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 話は変わって僕には生まれついて持っている借金がある。全身の濃い体毛だ。

 現代では男性女性問わず脱毛に非常に大きな関心があり、中には体毛があったほうがいいという珍しい人類もいるようだが、基本的には体毛がないほうがいいと思っている方のほうが多いだろう。

 そう我々体毛の濃い人間は生まれつき脱毛費用という借金を負っているのだ!床に落ちた縮れたすね毛は最早陰毛と差はない。

 自分の体についてこれなくなった縮れた毛は全て陰毛なのだ。自分に生えていた頃はすね毛という名称だが床に落ちた時点で、そいつは陰毛の抜け毛として判別され汚いものと同じ分類にされる。

 


 

 ここで本題だ。一見関係がないこの全身の毛と夏場の虫を結び付けよう。

 僕が虫を仕留めきれずイライラしているとき助けてくれるのが濃い体毛だった。彼らは僕の体、特に生身の部分に近寄って着陸してくる。だが彼らに待ち受けているのは黒いジャングルだ。彼らはジャングルの樹木をかき分けてようやく皮膚にたどり着く。

 ここで彼らにとって誤算だったのは「帰りにもそのジャングルが待ち受けている」ということだった。帰るまでが遠足。つまり僕が彼らの存在に気づき百式観音を顕現させて殺そうとしている最中、彼らは飛び立つことが出来ず漆黒のジャングルに絡みつかれているのだ。まるでジャングル全体が食虫植物かのように入った虫を生きて返さないかのようだった。

 


 

 こうして僕は過去に数度虫を殺した実績を解除しており、濃い体毛にも少なからずメリットがあるのだなと多すぎるデメリットを消すことすらできない意外な長所に悲しくなるのであった。

「俺」という物語の主人公は「俺」じゃない。『俺』だ。

 「自分の人生の主役は自分」 

 うんざりするほど聞き飽きたセリフだ。この定義における主役の「自分」は俺を演じているのだろうか。特に最近そう思う。

 俺には顔が2つある。いや誰しも顔を複数持っているだろう。家族に対する「本名」の俺、「No one escapes」としての俺。嫌いなのは「本名」の俺だ。

 

 「本名」の俺

 逃げることしかできないが、逃げ方が下手で勇気もない情けない人間だ。俺はこの世界に生まれ落ちた瞬間から一般的な家族とは違った。そして寄せられる期待もまた大きかった。だが悉く裏切ってきた。父に君にも俺の遺伝子が受け継がれているから勉強できるはずだ、と俺個人を見るのではなく、俺を通して俺のことを「自分の作品」のように見られる日々だった。上手くいかなかったとき言われたのは 育て方を間違えたのかな、鋭く冷たく無感情に突き刺さる言葉だった。存在の否定だった。

 俺のやりたいことは全て否定され、結局親の敷いたレールに乗せられる。だがそのレールの枕木は俺には合ったものではなかった。俺にそのハードルを越える精神がいつのまにか抜け落ちてしまったのだ。そう俺自身ある瞬間から努力ということが出来なくなった。だが例外的に俺にも理由さえあれば努力ができるということを最近分かった。「他者の存在」だ。

 「他者の存在」に依存する俺

 他者の存在が俺に意味を与える。他者に依存しないと何かをしようと思えなくなってしまったのだ。誰かが喜ぶからやる。誰かに誘われたからやる。誰かと遊びたいから誘う。誰かと時間を共有したいから努力する。

 俺の将来のために俺が努力することが出来ない。俺が努力できる理由の中心に俺はいつも存在しない。俺の人生に俺は主役として存在できない。脇役。エキストラ。こんなことを毎日考えて過ごしている。忘れさせてくれるのは他者の存在だけだ。

 「脇役」が俺ならば「主役」とは誰なのか

 俺の人生に主役の空きができた。では誰が主役なりえるのか。もちろん俺以外の誰も主役になりえない。じゃあどの俺が主役なのか。「No one escapes」だ。

 

 「No one escapes」としての俺

 No one escapesとしての俺(以下ノーワン)は好きだ。家族といった柵もなく、俺という脇役のような気質を隠している。俺とノーワンの混じった状態を知っているのは界隈でも数名だ。上で書いたように俺はネガティブな方面で濃い人生を送ってきた。それと共に俺自身もかなり変質していった。そういった面を見せても受け入れてくれるのは本当にその数名だと思っている。大体の人にはノーワンとして接してきた。ノーワンはある種自分の理想だ。俺からなるべくネガティブな部分を消し、残った俺を表現し体現したのがノーワンだ。こいつであれば俺の人生の主役になりえる。

 

 主役を引き立たせるのが脇役の務め

 ノーワンは主役で俺が脇役。俺という人間がノーワンという人間を引き立たせるために必要なのはノーワンがどれだけ努力できるかだ。ノーワンが上に上がれば上がるほど俺との差はどんどん広がっていく。それの分だけノーワンは名主役になれる。俺という脇役はノーワンのために存在し、俺はノーワンを幸福にするために努力していく。

 

 

 

ハンドルネームの由来

 僕の名前は「No one escapes」。Twitter名は「No one escapes from me」ではあるが前者が一応正式名称だ。

 

 この名前にしたことにも戦略性がある。それは最後に話すが、元々第五人格というゲームの存在を知るまではNo one escapesという名前ではなかった。どんな名前だったかは朧気で正確に記憶しているわけではないが、覚えている限りでは「皿洗い」→「卒業者」→「うさぎ」→「No one escapes」という移り変わりである。

 


 

 まずは「皿洗い」について。確かこの名前を付けたとき僕は中学生だった。そのころはインターネットというものに疎く、今まではアカウントなしでYouTubeなどを見ていた。ここで出会ったのがニコニコ動画だ。ニコニコ動画は動画を楽しむとともにコメントを打って楽しむ文化があったため、僕もそこに参加したくなりアカウントを作る決心をした。

 じゃあ何にしようか。あっさりと決めた印象がある。

 自分がインターネット初心者であることと何かを結び付けたかったのだ。そのころの僕はもしファミレスなどでバイトをするなら、まず皿洗いをさせられるんだろうと勝手に思っていた。こうして僕の初めてのハンドルネームが決まった。

 


 

 次は「卒業者」だ。これは単純にインターネットに慣れてきたという意味を込めて卒業者にしたわけではない。ましてやリアルの中学校高校の卒業ということにかけたわけでもない。僕の中だけでなくリアルの友達でも流行っていたあるインターネットミームがあった。淫夢だ。あの淫夢

 あの頃はだれが見ても淫夢厨といっても差支えのない仕上がりだった。初めて淫夢コンテンツと出会ったのは「東方プロジェクトのキャラクターである博麗霊夢MMDがソファーに座りながらインタビューを受ける」といった内容の動画だ。これを初めて見たとき淫夢というコンテンツを知らなかったため不快感を覚えた記憶がある。後にどんな理由でハマったのかは覚えていないが淫夢というコンテンツにずっぽりのめりこんでしまうのだが。

 確か肉体派おじゃる丸(?)か何かがトレンドになっていた頃に淫夢が下火であったこともあるが、いつまでこのコンテンツで笑っているんだということを恥はじめ、淫夢から完全に「卒業」しようと決意した。こういう経緯がこのころのハンドルネームにつながっている。

 


 

 次は「うさぎ」だ。可愛い名前にしているだろう?だって可愛いんだもんウサギ。このころ実家に元々いた犬だけでなく、もう一匹動物がいた。いや正確には一羽か。名前はゴン。僕の姉が買っていたウサギだ。髪が伸びてさん付けをされるほうではない。僕の古参なら知っているかもしれないが、僕の初期のころのTwitterにはウサギの写真しか投稿されていなかった。その子がゴンだ。

 これに関してはエピソードもクソもウサギのゴンが可愛すぎてハンドルネームにしていただけだ。かわいい。

 


 

 さて現在のハンドルネーム「No one escapes」について話そうか。

 No one escapesを和訳すると「誰も逃げない」という文章になる。本来ハンドルネームに文章を入れるやつはいない。なんなら僕以外みたことがないな。第五界隈という狭い世界の話だが。

 No one escapesが何に由来するかというと、Dead by Daylightに存在する有名なパーク「No One Escapes Death」から由来している。由来はこれではっきりしただろう。では「なぜこの名前にしたのか」という疑問が次に来る。

 第五人格には「引き留める」という内在人格がある。効果は「脱出ゲートが開放可能な状態になると120秒間は通常攻撃の威嚇値が2倍となり、1回の攻撃で2回分のダメージを与えられるようになる。」という特殊なハンター以外は大体つけている内在人格だ。

 DbDの「No One Escapes Death」和名「誰も死から逃れられない」の効果は

脱出ゲートが通電したとき、もし無力なトーテムがマップ上に残っていれば、この呪いが適用される。この呪いが発動中
・ 生存者が無防備効果に苦しむ
・ 移動速度が(2/3/4)%上昇する
呪いの効果は、紐付けられた呪いのトーテムが残っているかぎり持続する。」

ノーワンと略称するがノーワンと引き留めるの効果は非常に似ているため、第五人格でも引き留めるのことはノーワンとう呼ばれることも少なくない。公式放送でもぽろっと言ってしまう実況解説がいるほどだ。

 


 

 ここで戦略性の話をしよう。ノーワンという名称は第五人格民にとって身近なものであり、聞きなじみがあるものであるという説明は上でした。

 そう、覚えられやすいハンドルネームであるという条件は簡単に達成できた。アイコンはその時ハマっていた髪型で僕の顔の好みに合致する外国人の画像を見つけ、それをアイコンにした。

 これがYouTubeのコメント欄で外国人のアイコンと英語で長い名前で絶妙な存在感を出すことに成功した戦略だ。

第五人格から別ゲームに移行しても成功する実況者はいるのか

 ゲームの衰退は実況者の衰退と同義だ。先が見えている泥船と共に添い遂げても何の意味もない。もし第五人格から移行するなら何のゲームを選択するべきなのか、実況者たちは考えるのである。

 


 

 既存の視聴者を別ゲーに連れて行かなければならない。そういう面で第五人格のプレイヤーの殆どはスマホ版でプレイしているため、スマホが主戦場のゲームに移行するのが得策だろう。

 視聴者層も重要になってくる。TwitterYouTubeのコメント欄にいるプレイヤーは大体10代前半から20代前半といったところだろう。そして第五人格実況者のコメント欄は異常に女性率が高いのでグロゲーや過激な描写が多いゲームは控えたほうがいい。

 


 

 先程爆笑してしまったのだが第五人格実況者について検索していたところ、第五人格実況者の夢小説が存在していた。見てて笑みしか零れない。

 ではこういった夢女子なる存在はどこから湧いているのかと言ったら、ほぼほぼ間違いなくストプリだ。第五人格を現役でプレイしており動画も投稿しているという条件で一番登録者を抱えているのはさとみだ。

 さとみはどこに所属している?そう、ストプリだ。大正解。彼から第五人格にはまった女性の方々が第五人格実況者に流れているのだ。

 わかるだろう。なぜ伝説のDが10万人登録者を達成できたかを。

 


 

 さあここで問題だ。こいつらを抱えたまま別ゲーに移行できるのか。別ゲーといってもここで言っているのはまだ耕されていない新作ゲームの話だ。今更耕された畑に行ってもそこに席はない。

 安直な話をすればNetEase様の新作ゲームを待つ形になるだろう。第五人格の開発元がNetEaseなのだから視聴者はきっと付いていきやすい。そしてゲーム性もどちらかというと俯瞰視点かTPSのほうがいいだろう。

 


 

 では僕から見て別ゲーに移行して成功しそうな第五人格実況者はいるのかという話だ。いるのだろうか。変なゲームを選ばなければ「逃さずの石橋」は大丈夫だろう。というよりもハンター陣営を主にやっている実況者はほぼほぼ大丈夫なのではないか。

 彼らはハンター陣営という側面上コラボの頻度はサバイバー陣営よりも圧倒的に低く、マッチング待機時間の長さも相まって雑談の時間などの第五人格以外の時間が長い。そう、第五人格を求めて配信を見始めたのにも関わらず彼らの雑談の時間をも楽しめるように変化していくのだ。「視聴者」の出来上がりだ。

 

 ザイオンス効果というものがある。接触回数を多くすればするほど、その人は好感を抱くようになる」という現象の名称だ。ちなみに発見したアメリカの心理学者ロバート・ザイオンスにネームアフターしている。(日本語度忘れしました)


 

 サバイバー陣営の実況者の話をすると、彼らは第五人格というゲームのゲーム性故VCをほかの人とつないでランク戦に臨むことが多い。殆どといったほうがいいのかもしれない。彼らは他者と喋りながら配信しているため、彼ら自身の根っこにある魅力は伝わらず、表面上の魅力しか伝わっていない。それに惹かれてみている視聴者もいるかもしれないが、それは申し訳ない。君たちの話はしていない。

 

 ハンター陣営の実況者やサバイバー陣営でもコラボだけでなく個人での企画やゲーム配信、雑談が多い実況者などは別ゲーに行ってもほかの実況者に比べると比較的伸びやすいと僕は思っている。視聴者に媚びを売り内面を見せずキャラを偽り続けるのも別ゲーで通用するかはわからないが、ね。内面をさらけ出せよ。

顔出し文化が広まっていることの問題点

 僕のネット歴は10年ほどだ。学生時代ニコニコ動画ニコニコ生放送を見ており、実際に僕を合わせて10名ほどのオフ会にも参加したこともあった。

 そんな昔のニコニコでは雑談配信で顔出しをしている人がそこそこ存在していたが、ゲームの配信でわざわざワイプをつけて配信していた人間は全くと言っていなかった。インターネット上に顔を出すということ自体が若干危険というかそういう風潮があったためだ。

 


 

 今ではTikTokなどで僕よりも若い子供たちが平気で顔を出しダンスを踊っているが、昔の感覚では考えられなかったことだ。それと同様にゲーム配信でも顔出しをしながら行うといった文化も広まっている。

 第五人格に話を絡めると公式配信で実況解説する人間やプロゲーマーなども強制顔出しなどといったことも行われている。女性の方はマスクで顔出し防止といった措置もあるようだが。

 


 

 ここである問題がある。申し訳ないことだが顔面偏差値という話だ。そういった公の場には顔を出さなければならない機会が多くなっている現代、そういったことは付き物だろう。ある事例を紹介しよう。

 

 昔TVがなくラジオはあった時代、そこでラジオパーソナリティーを務めていたある女性の方が人気だった。数多くのプレゼントがリスナーから送られていたらしい。

 だがTVが日本で普及し始めラジオパーソナリティーを務めていた女性の方が顔をTVに出したところプレゼントが激減した。やはり声がよくても顔がアレだと人気が減ってしまうようだ。

 

 こういったやはり声や内面がどれだけ人気でキレイだったとしても、顔ということ1つで人気が変動してしまう人間の感覚がある。少し話はずれるが、僕の顔面偏差値が30~40であることを度外視した率直な意見として、第五人格のプロゲーマーと呼ばれる方々はイケメンではない....はず。塩顔が流行っている最近の傾向に一石を投じたいソース顔の僕の美的感覚がおかしい可能性も大いにあるので怒らないでほしい。

 なぜこういった顔出し程度の話で人気が上昇下降するかというと、人間の本能という話を今更しても仕方がないので現代だからこそ起こりうる原因について話そう。

 


 

 ではページを戻って僕のTwitterアイコンを見てください。100人中100人が顔立ちが整っているというだろう。確実に不細工だという人間はいない。これが問題なんです。

 このアイコンがこの中の人である僕の顔面偏差値の期待値を大幅に上げている。

 顔出しによって人気が変動する理由は確実に期待値からどれだけ中の人の顔面偏差値が離れているかということに尽きる。いい意味でも悪い意味でも。

 

 だから今後何らかの機会でネット上に顔出しをするかもしれないという僕と同じ顔面偏差値の低い方々はアイコンを過剰にカッコよくしすぎたり可愛くしすぎると、勝手に周りの人がハードルを上げてしまい自分自身の人気に影響を及ぼしてしまう可能性が高い。

絶妙なレベルのアイコンにするか、覚悟を持ってそのアイコンにすることをお勧めしたい。そこら辺を気にする人間であれば、の話ではあるが。